木は庭に植えず山に植えよ 気に入った苗木を買ってきて、身近な庭に植えると、毎日眺めて、まだ大きくならないのかと気をもむばかりです。ところが、山に植えると、いつも眺めることはできないので、時折、行ってみると、いつの間にか大きく育っていることに驚くということから、大事なものを育てるときは、ゆったりとした気持ちでのぞむのがよいという教えです。株式投資においても大いに役立つ言葉です。これぞと思って、信念をもって買った銘柄なら、日々の株価を見て一喜一憂するのではなく、山に植えた木のようにしばらく見ないでいれば、気がついたときには大きく値上がりしているということです。
筆者が小さい頃、祖母から、「モチは女に焼かせ、魚は旦那に焼かせよ」、という言葉を教わった記憶があります。どうしてと聞くと、祖母は、「モチは焦げないように頻繁にひっくり返さなくてはいけないので女に向いている、魚は頻繁にひっくり返すものではないから、どっしりとした旦那さん向き」、ということを言っていたように思います。お腹がすいて、早く魚が焼けないかと、ひっくり返してばかりいた筆者をみて、祖母がたしなめる意味で言ってくれたと思います。子供ながらに、男はどっしりしていなくてはいけないのだと、感じたのです。
株式投資においては、もちろん、モチを焼くこともあれば、魚を焼くような投資方法もあります。大切なことは、自分はモチを焼いているのか、魚を焼いているのかをはっきりと自覚しておくことです。株式投資でモチを焼くことは短期投資法、魚を焼くことは長期投資法で、これをごっちゃにすると儲けるどころか損をすることになります。情報が頻繁に流れ、しかも手数料の安くなったネット取り引きでは、モチを焼くような素早さが必要だと思います。しかし、長期投資法の人がモチを焼くような気持ちではうまくいかないと思います。
昔は、今のように情報量が多くなく、当然、ネット取り引きもなく、手数料も高い時代でしたから長期投資が善しとされてきました。相場の位置を確認し、景気と企業業積の先行きを見通したうえで、長期投資にのぞむのが一般的でした。まさに、木を庭に植えるのではなく、山に植えて、一喜一憂せず、忘れているくらいがよいというやり方でした。現在でも十分に参考となる言葉だと思いますが、昔と現在では、長期投資の期間が昔は10年くらいでしたが、現在は2,3年程度となっていることは気をつけなくてはいけないところです。
経営においても昔と違って、製品のライフサイクルが短くなっていますのでスピード経営が求められています。とくに、社会資本が充実し、耐久消費財の普及率が100%近くに高まり、そして人々の好みが多様化している今の豊かな社会では、ゆったりとした経営では間に合わない点もあると思います。モチを焼くのに向いている女性の感性が必要といえるのではないでしょうか。役員にもっと女性を据える時代に思われます。



いかにも美味そうに熟し晩秋の夕日に映える柿の実。怪我をすることも覚悟で枝によじ登って口にほおばりとろける味を満喫するのも格別である。もちろん、無理をせず落ちてくるのを待つ手もある。
日本は戦後の復興期から成長期には経済のボリュームが増える時代でした。企業の資金需要は旺盛で預貯金々利も高いため預けていれば10年もすれば2倍となった時代です。その頃は株についても苦労して選択しなくてもオラが町の銘柄式で身近にある銘柄に投資していればよかったのです。なまじっか、知らない銘柄に手を出せば損をするというのが一般的でした。
学生時代は野球で遊撃手でしたが、重心をかかとにかけていてはゴロをさばいてアウトにすることはできません。野球に限らず、恐らく、どんなスポーツでもツマ先重心だろうと思います。
かつて、大手証券の大量推奨販売が大手を振っていたころは、全支店が一斉に買いつき、さらに、他社のチョウチン買いも加わって大商いとなって、株価は高値圏で3日も持ちこたえられず天井を打って下げに転じたものです。そして、高値で買った株が処分売り一巡となるまで100日もの長い底練りが必要だったのです。
陸上競技でも球技でもほとんどの勝負ごとは途中で棄権すればそこで負けが決まりゲーム参加に終了です。しかし、株のいいところは、同じ銘柄を幾度でも利食いしては買い直すことができることです。
ドーム球場のなかった頃は雨が降ればゲームは中止となったものです。屋値付き球場の増えた今日では天候に関係なくゲームは開催されます。中止になるときは電車が止まるような大嵐のときです。
株式投資は42.195Kmのマラソンと似ているといわれます。もちろん、マラソンのような長期投資もあれば、6ヶ月〜1年ていどの中期投資、1日〜1週間ていどの短期投資もあります。
我々は車と言うと、エンジンの大きさがどれだけでスピードがどれだけ出るかに関心がいくものです。しかし、忘れてならないのはブレーキの存在です。止まってくれるから安心して車を走らせることができるのです。
大きく値上りした銘柄の調整安は狙い場になるという教えです。半年、1年をかけて2倍程度に値上りした場合も急騰と捉えることはできますが、ここでは、2週間ていどの短期間に2倍前後の大幅高した場合の急騰銘柄に当てはまるというものです。
社会はグローバル化と共に否応なく個人の自己判断が強く求められるようになっています。「良いことも悪いことも個人のもの」です。高金利の時代は何も考える必要はなく銀行に預金しておけばよかったのですが、低金利が定着の現在は自ら考え判断して目減りを避けなくてはいけません。しかも、預貯金だけでなく、われわれは、いろいろな人生の局面で自己判断と自己責任が求められるようになっています。
業種、売上規模、発行株数などの似通った銘柄は、一方が上がれば連れてもう一方も上昇するという展開となるものです。ところが、どういうわけか、あるところまで来ると突然に違う動きを見せ始めることも多いのです。
『株』が世の中からなくならない限り、『相場』というものは、いつまでも上がり続けることも下がり続けることもありません。いつまでも続くと思い込むところに投資の失敗が潜んでいます。
ひと昔前までの株式投資は四季報や証券専門紙誌などから情報を収集し電話で証券会社に売買の注文を出すというのが一般的でした。それが今では、パソコンやスーマトフォンで情報収集と発注を同時にできる時代です。もはや、ネットは株式投資に不可欠な存在です。
昭和40年代、昭和50年代ころには情報の無いことや、大手証券の大量推奨販売という営業スタイルなどもあって、個人投資家は高値で掴まされることが多かった。
上昇相場のあとに来る調整で役立つ教えです。出来高を伴った株価上昇の活況相場では高値をつけたあとには信用取引を利用した買方などの処分売りが出ます。とくに、株価ピークアウト時には必ずといってよいほど悪い材料の出るものです。その時の悪材料が驚き度合いの大きいほど狼狽売りも大きいものとなります。
『人の行く裏に道あり花の山』は、代表的な相場格言です。しかし、今の世では、そぐわなくなってきた印象です。
情報公開が公平となり、手数料も安くなった昨今の相場では、個人投資家の売買は圧倒的に「短期」が中心となっています。
全体相場でも個別銘柄においても、長い期間、モミ合いとなって膠着した相場では売方も買方もそれぞれに、これまで予想された材料を株価に織り込んだ状態となっています。
冬を好んで咲く花、夏だけに咲く花、花にもいろいろです。しかし、ほとんどの花は4〜5月の春爛漫に咲き競います。相場も似たところがあって不景気の冬の時代から景気回復の春になると多くの銘柄が一斉に乱舞します。
逆張り投資の極意とも言える教えです。悲観人気の中で買いに出た人は、多くの人が買い安心感から「わーっ」と買いついたところは冷静に涼しい顔で一旦は利食っておくというものです。
太陽が無くならず、地球もまた健在であるという前提に立てば、必ず朝はめぐってくる。もちろん、そこには冬の長い夜、夏の短い夜という違いはある。しかし、違いはあっても必ず朝はやってくる。
現在のようにインターネットのなかった昔は、株の専門紙・雑誌、四季報などを隅々まで読み、さらに、証券会社の人に多く会って情報を集めることのできた人が投資で成功する確率が高かったものです。知識量が成果と密接に結びついていました。
経済やマーケット、そして政治の動向を知るには、「お金の動き」に敏感となることが大切と教えています。銀行など金融機関は「銭」単位で儲けを追及するプロです。金銭には非常に敏感です。儲かると思えば飛び乗り、危ないと思えば真っ先に逃げ出します。
相場がせっかちということではありません。商売やビジネスとまったく同じです。先を読んで、少しでも早く売れる商品を開発し市場に出すことが事業で勝つことにつながります。もちろん、2番手、3番手でやるという方法もあるでしょう。先に走ったライバルの劣る点を見極めたうえで手がけるというやり方です。かつては、それも通用しました。しかし、花の命は短いのと同じように、商品寿命が非常に短くなっている今日では、ゆったり構えていたのでは間に合いません。遅れて市場に出していたのでは、商品の命は終わっているかもしれません。しかも、今はライバルが国内だけではないのです。手ごわい韓国も中国もいるのです。
この言葉は、確率の非常に高いことから、昔から投資の際の大切なヒントとなっています。もちろん、現在でも大切にされています。本社ビルを建てようかという会社は、業績が良いはずです。当然、株価は業績好調を評価して上昇します。保有している投資家は、株価は、まだまだ上昇すると思うものです。そういった心理の時に役立つのが、この言葉です。
死を恐れない人なら、時間を超越した生き方、考え方もできるでしょう。しかし、われわれ通常の人間、あるいは地球上に生きるすべての動物、植物は与えられた時間の中で生きているのです。それぞれの生き物に与えられた寿命というものがあるはずです。そして、今の1秒ずつを刻んで生きているのです。
寒い冬を過ぎると、春は陽の出が早く陽の入りが遅くなっていく。反対に秋は昼の時間が短く、とくに日暮れは早い。「ツルベ落としの夕暮れ」ともいわれる。